愛の本質は、一体感 ——物への愛着も、人への愛も、源は「一つになる」ことにある
MADARAが空間づくりで大切にしている、一体感という感覚について。
これまで書いてきたことが、ひとつの問いに集まってきました。
クライアントの人生——過去・現在・未来——が空間に現れたとき、人と空間に一体感が生まれる。そして私自身のものづくりの原点にも、「人と一体になって喜び合う」という感覚がある。
では、人がモノや空間を「大切にしたい」と思う原動力は、そもそも何なのか。その答えを探していたとき、最初に浮かんだ言葉が「愛着」でした。
空間の仕事を続けてきた中で、ずっと感じていたことがあります。
愛着をもって大切に使われた物は、豊かになる。味わいが出る。時間とともに、もっと好きになる。その循環があると。
日本では、物にも魂が宿ると言われます。付喪神(つくもがみ)という言葉があります。長年使われた道具や器に魂が宿り、神になるという考え方です。古くから日本人は、物を単なるモノとして扱わず、魂を持つ存在として敬ってきました。
私もそう思います。物にはもともと魂があるのかもしれない。でも、それだけではないとも感じています。愛着をかけて大事に使い続けた人の心は、物に移り宿っていく。使う人の魂が、物の中に積み重なっていく。だから長く大切にされた物には、独特の存在感や温かみが宿るのではないか、と。
古い家具や道具に惹かれるとき、私たちが感じているのはそういうものかもしれません。そこに宿った、誰かの時間と心。
長く大切にされてきた家具には、独特の存在感が宿る
ところで、物に対する愛着と、人に対する愛は、違うものなのだろうか——と考えることがありました。
違うといえば、違う。でも、物にも人にも魂がある。ならば、どこかで近いものがあるのではないか。
愛という言葉には、いろんな語られ方があります。愛憎、愛と憎しみは紙一重、などと言われることもある。
でも私は、それは愛の本質ではないと思っています。支配したい、コントロールしたい、独占したい——そういう感情は、自分と対象が「違う」という対立の感覚から生まれます。自分と相手は別の存在だという前提があるから、支配しようとする。
本当の愛は、その逆です。自分と対象は「一つ」なんだという感覚。対立ではなく、一体感。
親が我が子を思うとき、自分のことのように心配し、自分のことのように喜ぶ。我が子の痛みを自分の痛みとして感じる。あの感覚です。
自分と対象の境界が溶けて、一つになる感覚。それが、一体感です。
物への愛着も、人への愛も、その本質は同じ「一体感」なのではないでしょうか?
一体感は、物や人だけにとどまりません。
チームへの愛、組織愛、地元愛、愛国心——そしてさらに広がって、自然、地球、宇宙へとつながっていく。対象が広がるほど、一体感の深さも広さも変わっていく。
私の専門は空間です。自分という存在の範囲が、空間まで広がった状態——それが、人と空間の一体感であり、愛です。
あのご夫婦の家が、時を経るごとに良くなり続けたのは、自身の人生が現れた空間との一体感を感じていたから。空間を愛していたから。空間と一体になっていたから。
愛の本質は、一体感である。
物への愛着も、人への愛も、空間への愛も——
すべて、自分と対象が一つになる感覚から生まれる。
人と空間の一体感が生まれたとき、
空間は自分の一部になる。
自分の一部を、大切にしないわけがない。
だから、空間をより素敵にしたくなる。
豊かになった空間から居心地の良さとなって返ってくる。
人と空間も与え合う関係を作れるのです。
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