桜を「花吹雪」と見る。
——それが、見立てという設計前回、「デザインは、いちばん最後でいい」という話を書きました。目的・市場・コンセプトが決まって、はじめてデザインに手をつける、と。
では、決まったコンセプトを、どうやって実際の空間に変えるのか。
その翻訳の作業を、MADARAは「見立て」と呼んでいます。今日は、この見立ての話をします。
見立てとは何か
桜が散るのを見て、私たちは「花吹雪」と言います。
ただ花びらが落ちているだけなのに、そこに”吹雪”を重ねて見ている。これが、見立てです。
目の前のものを、そのままではなく何かとして見る。あるものに、別の意味を重ねる。日本人が昔から持っている、心の働きです。
もっと身近なところにも、見立てはあります。
実は、ダジャレもそうなんだと思います笑。
「トイレに、いっといれ」——これは「行っといで」と「トイレ」を、ほとんど同じ音の上に重ねている。くだらないですよね笑。でも、聞いた瞬間に、頭の中で二つの意味がパッと同時に立ち上がる。あの感じ。
あれこそ、見立ての正体です。
桜を花吹雪と見るのも、トイレのダジャレで笑うのも、やっていることは同じ。あるものに、別のものを重ねて見る(聞く)。最高に美しいものから、最高にくだらないものまで、同じ一つの心の働きでつながっています。
日本文化に、脈々と流れる「見立て」
見立ては、日本文化の中に脈々と流れてきた、美を生む思考技術のひとつです。
日本人は昔から、この「重ねて見る」力で、さまざまな美を生んできました。
和歌では、月にただの天体ではなく、遠くの人を想う心を重ねました。桜に、命のはかなさを重ねました。
枯山水の庭では、石を山と見て、白い砂の模様を水の流れと見ます。水を一滴も使わずに、大海原を表現してしまう。
盆栽は、小さな鉢の中に、大自然の風景を見る芸術です。
茶道では、漁師の魚籠を花入れに、井戸の釣瓶を水指に。日常の道具を、別のものに見立てて使ってきました。
どれも、「ないものを足す」のではありません。すでにそこにあるものの中に、まだ見えていない価値を見出している。これが、見立てという思考技術です。
見立ては、今も生きている
そして大切なのは、見立ては遠い昔の話ではない、ということです。
桜を花吹雪と見る私たち。ダジャレを言って笑う私たち。その中に、見立ての心は今も生きています。「重ねて見る」というのは、私たちの精神性に、今も息づいているのだと思います。
そして私は、この生きた見立てを、空間づくりに使っています。
古い建物を、ただの古い建物として見ない。その中に、まだ語られていない物語を重ねて見る。それを、実際の空間に翻訳していく。
では、具体的にどうやって「重ねて見て」いるのか。次は、実際の現場の話をします。
見立てを、空間に使う
決まったコンセプトを空間に翻訳するとき、私は二つの方向で「重ねて見て」います。
ひとつは、素材やディテールに、意味を重ねること。ある素材を、ただの素材としてではなく、物語を宿したものとして見る。
もうひとつは、空間の構成や使い方に、意味を重ねること。間取りや動線を、ただの機能としてではなく、体験を生む仕掛けとして見る。
この二つは、どの案件でも同時に働いています。実際の現場を、二つご紹介します。
実例①|レンガを、故郷の記憶と見る(横浜・フタバストア)
フタバストア(横浜・南区)— レンガとヒノキが調和する店内
横浜市南区の小さなカフェ、フタバストア。この空間には、西洋のレンガと、和のヒノキが同居しています。
本来なら、ぶつかるはずの異素材です。でもここでは、調和している。
オーナーの人生の物語を、素材に重ねて見立てたからです。
レンガは、オーナーが若い頃ダンスを学んだブルックリンの街並みであり、同時に横浜赤レンガ倉庫の記憶でもある。ヒノキは、代々この土地で商売をさせてもらった南区への感謝と誇り。日本の芸能でいう「檜舞台(ひのきぶたい)」を、店の奥に見立てました。そこには松の盆栽を添えています。
ヒノキブタイ — 檜舞台に見立てた造り付けテーブルと、松の盆栽
枯山水が、石を山と見て、砂を水と見たように。フタバストアは、レンガを故郷の記憶と見て、ヒノキを土地への誇りと見た。
素材をただ置いただけでは、この調和は生まれません。オーナーの物語を通して重ねて見たとき、はじめて異素材が一つの空間になりました。
実例②|壁を、農地の風景と見る(東京・新小岩)
新小岩・一棟貸し宿泊施設 —「江戸アート×農×インバウンド」を体現した空間
東京・新小岩の一棟貸し宿泊施設。ここでは、「江戸アート×農×インバウンド」というコンセプトがありました。
江戸時代から続く農の土地。代々その土地を守ってきたオーナー一族の「本業は農家だ」という誇り。その物語を、空間の隅々に見立てていきました。
壁には、畑の向こうに連なる山脈を。タイルには、田んぼの水面に広がる水紋を。和室には、農作物をしまう納屋の記憶を。
田んぼの水面を見立てた、水紋のタイル
ここでも、やっていることは枯山水と同じです。目の前の壁を、ただの壁として見ない。その向こうに、この土地が抱いてきた農の風景を重ねて見る。
泊まった方からは「建物に入った瞬間に歓声が上がった」という声をいただきました。物語が空間に宿ると、それは理屈ではなく、体験として伝わります。
見立てとは、すでにある物語を、空間に重ねること
二つの事例に共通しているのは、一つのことです。
「ないものを足した」のではなく、「すでにそこにある物語を、重ねて見た」。
フタバストアのレンガも、新小岩の壁も、どこにでもある素材です。でも、その土地とその人が持っている物語を通して見たとき、それは唯一無二の空間になる。
桜を花吹雪と見る心。石を山と見る枯山水。あれと、まったく同じことを、私は空間でやっています。
見立てられた空間は、育っていく
そして、見立てには、もう一つ大切な働きがあります。
その人の物語が重ねられた空間は、大切にしたくなるのです。
フタバストアのオーナーは、こう言ってくれました。
「素敵に仕上げていただいたおかげで、どんどんお店に愛着が湧いてきております。」
自分の人生の物語が宿っているから、愛着が湧く。愛着が湧くから、手をかけたくなる。手をかけるほど、空間は豊かになっていく。豊かになった空間が、また人を呼ぶ。
そして、この物語に参加できるのは、オーナーだけではありません。
フタバストアに来た人は、ブルックリンと横浜が出会う物語の中に、自分も入り込む。新小岩に泊まる人は、江戸の農の物語を、一晩、自分のものにする。物語のある空間は、来た人を”登場人物”にします。だから、記憶に残り、また来たくなり、誰かに話したくなる。
見立ては、空間をつくるだけではありません。そこに集う人と人を、一つの物語でつなぐのです。
見立ては、完成がゴールではありません。そこから始まる循環の、起点をつくる仕事です。
デザインは、いちばん最後でいい。
目的を聴き、市場を読み、物語を束ね、
そして見立てで空間に翻訳する。
その積み重ねの果てに、
大切にしたくなる空間が生まれ、育っていく。
それが、MADARAの設計です。
あなたの物件にも、まだ語られていない物語が眠っています。
その物語を、一緒に見つけて、空間に翻訳しませんか。
※ご相談は無料です